雨上がりの街の中、昔住んでいた家まで歩いた。
あの坂道。あの家。あのポスト。あの川。あの犬。
懐かしい風景を通り過ぎながら制服に身を包んで歩いた小路を抜けると、高台に建つあの家があった。
家の前の道はきれいに舗装されて貧相な木がいくつも植えられ、手入れの行き届いていたはずの庭は簡素なものに変わり、大きいガレージは改築によって家の一部になっていた。
表札は、知らない人の名前だった。


橋を渡って、川の反対側の道から家を眺めた。
一つひとつの窓を見ながら、玄関から順に、家の内部の詳細を思い出す。
玄関の天井は高かったな、リビングは広かったな、台所は白くてきれいだったな、和室はこたつがあってよかったな、二階へ上る階段は急だったけど、父母の部屋は広くて緑色のカーテンを閉めると森の中みたいだったな、わたしの部屋の壁に組み込まれたあの本棚が今の部屋にもあればいいのにな、兄ちゃんの部屋はあまりよく知らなかったな、お風呂場には天井の窓からよく光が入ったな、書斎は暗くてすてきだったな、地下の倉庫はじめじめしていたけれど先生に褒められたカイワレ大根は何色の光を当てれば一番育つかという実験をするのにもってこいの場所だったな、庭はこだわって作っていたからすてきだったな、裏庭で焼き芋つくって食べたな。


あの頃の家族はどこへ消えてしまったんだろう、どこにも消えるはずがないのに。
それが幸せとも知らずに、わたしはのうのうと生きて、無駄に幸福を消費していた。


目の前の川は、先刻まで降っていた雨を含んでどっぷりと水嵩を増し、どうどうと音を立てながら下流へと流れ去っていく。
呟いた言葉はその水音にかき消され、その流れにのみ込まれ、わたしの知らない街へ流されていく。