様々なことにすっかりくたびれたので眠ることに逃避したら早く起きれたので、朝、ぶどうを幾粒かとヨーグルトをひとすくい優雅にとりこんで優雅な気分で優雅に駅についたらば財布を忘れたことに気付いて一度家に戻って再び駅へ到着すると乗らなければならない電車が発ってから既に20分も経過していてさらにはホームに滑り込んできた電車が区間準急という各駅停車と然して変わらない電車なので結局バイトには大遅刻、絶望を感じながら車窓の外を流れ行く朝の世田谷の街並みを眺めていたら今朝の一連の出来事はまるでわたしの人生みたいだと思ったけれど、けれど、ふと見上げた空の雲の隙間に透き通るような水色が見えたからなんだかひどく救われたんだよ。

あらゆることに押し潰されて泣きそうな夜に、兄の様に慕う二つ年上の男の子にさらいに来てもらった。
多摩川までドライブをして、花火をして、芝生に寝転がって、星のない夜空を見上げた。
この数ヶ月ふたりでずっと悩み続けている出口の見えない話は、私を切なく苦しく悲しくさせた。


東京タワーや、お台場の海とガンダムや、聖蹟桜ヶ丘の坂道や、あの公園の小高い丘や、六本木の眠らない大通りや、スターバックスのドライブスルーや、整列して並ぶ団地の窓や、下北沢のカッフェーや、国道のオレンジ色のライト。
思い出はいつも、夜とフィッシュマンズと共に。


帰り際に「あとで開けてね」ともらったプレゼントは、欲しかったキーホルダーといつかの約束のハイチュウ、それからきっと一生忘れない言葉と私の不安を拭い去る言葉が書かれた長い手紙だった。
他人なんてどうでもいいと思って生きている私だけれど、いつだったかある人が私に言ってくれた様に、私は彼にどうかどうか幸せであってほしいと、手紙を読んで改めて思った。
そのためにたとえばもし彼が私を頼るのならば、私は精一杯支えよう、彼の前を歩いて道をつくろう、きっとその後で甘ったれた声を出しながらゆるやかに私の名前を呼ぶ彼がいることを知っているから。
私は、そしておそらく彼も、お互いのありのままをただ肯定的に受け入れている。
恋愛感情なんてひとさじも含まない、許容と狡猾な愛をもって。


川沿いの公園でいくつもの夜明けを迎えた、この切なくて緩慢で怠惰な夏は、なんと名付けるのが相応しいだろうか。
あとで振り返るその時には、この日々も彼も思い出になってしまっているだろうか。

こわいくらいに白い月には黒い薄雲がかかっていて、まるで水底に真珠を横たえる湖に墨汁を一滴垂らしたみたいなその景色を見ていたら、鼻の奥がつんとして鈴の音のような虫の声が聞こえた。
伝えたい言葉は半分も口にできないし、口から離れた言葉は自分の意図しない方向へ進んでいく、そんなことを繰り返している間に様々な人に置き去りにされて、私はこれ見よがしに「さびしい」なんて呟く。
いい加減変わらなくちゃとは思うけど、一方どこかではこんな自分が可愛くて可哀想で仕方ないんだろうとも思う。
ため息をついたら夜風のにおいがしたので、多くを望みすぎないように、いつも潔く凛としていられるように、小さくそう決意した。
紅茶に浮かべた檸檬とこのさびしさはひどくよく似ている。

たとえばわたしに「     」という価値があったとして、たとえばそれが簡単に手に入ったとして、たとえばその手段が道徳的に悪とされていて、それでも別に私が平気なら大丈夫だとそう思っていたけれど、もしかしたら私の知らないところで私の知らないうちに私の質的価値はどんどん下がっているのかもしれない。
あの匂いのする暗く狭い部屋の中で秋代と穢れた自分を重ねて、あんなのまやかしでしかなかったんだと、私は誰にも必要とされてなかったんだということに気づいた。
期待するだけ無駄だとか生きていてごめんなさいだとか衝動でそんなことを思うんじゃなくて、最後に父親の背中を見たあの日からきっともうずっと慢性的に諦めを抱きながら生きていたし、私を取り囲む世界は私を裏切ってばかりだ。
日々の小さな起伏に惑わされながら、それでも誰かと繋がっていたいと、少しでも他人の思う自分であろうと色々演じたりもしてきたけど、何の意味もない、もうやめよう。
深呼吸したって世界は何も変わらないし、私は悪夢ばっかり見続ける。

漸う気持ちの整理がついて、幾分か諦めも抱けて、このまま穏やかに暮らせたらと思うけれど、タイミングというものは悪い様につくられているみたいで、恐らく近々わたしは再び揺れることになるのだろう。
あの映画のあの美しい女の様に、「愛しているふりだけはしないで」という手紙だけ残して身を投じることができたら、幸せの絶頂期においてそれを持ち去ることができたら、わたしは永遠に悲しい思いをせずに済むし、もしかしたらあの人は永遠に余韻に浸り続けてくれるかもしれない。
午前八時か九時まで遊んで、ファミコンやって、ディスコに行って、知らない男の子とレンタルのビデオ観たいだけのこの思いを、一体誰が汲み取ってくれるというのか。


恋をせずに生きたい。

tambourins2009-07-12

さよなら。
さよならわたしの太陽。
今年もこの日に泣きたくなっているわたしを忘れないで。
年々少女性を失って、穢くなってゆくわたしを。


最後の夕暮れ。
神様は、わたしの好きな色で世界を染めた。
年を重ねることをやめられたら、どれだけ美しいだろう。

私はもう、少女ではないのに。


誕生日が巡り巡ったって一人歩きで成長していくのは体という容器と年齢という括りばかり、精神は未だに十四の頃のまま球体世界に籠もっている。
失われた少女性をひたすら求め、果ては胎内回帰。
誕生日がきたって何が変わるわけでもないのに、いつからだろう、毎年この時期はどうしようもない思いに駆られるんだ。


「甘き死よ、来たれ。」